さよなら、ネットサーフィン
1980年に「第三の波」(アルビン・トフラー著)で情報革命による脱産業社会(情報化社会)が押し寄せると予言され人々に衝撃を与え、1983年には「メガトレンド」(ジョン・ネイスビッツ著)ではネットで結ばれた社会が大きな変革を起こすことが予言された本が出版されました。それらは今日私たちがネットを通じてすぐに誰かとつながれたり、情報を瞬時に吸い上げられて誰かに使われたり、気軽に検索して企画書の情報に厚みをつけたりする社会を、まだインターネットが商業化される前の時代に明言されていたのが驚きです。そして1991年以降インターネットは企業や家庭にどんどん普及していき、今日では大事な社会インフラのひとつになっています。
そんなインターネット普及黎明期の1995年頃、「ネットサーフィン」という言葉がイケてることとして巷で得意げに話されていました。面白そうなサイトをあちこち渡り歩いて先端の機器(PC)で最新の情報に触れていく活動ですね。電脳の海を軽やかにサーフィンでもするかのようなたとえです。30年近く前のことです。まだスマートフォンが普及するはるか前で、YouTubeもInstagramもfacebookもLINEも登場していません。ギガやテラという容量が出てくるはるか前なので、「戯画?寺?高山寺の鳥獣戯画かい?何を言いたいの?」と会話がつながりません。
今はSNSを中心に言葉少なく短いメッセージを会話のように交換し、画像よりは動画でコミュニケーションをしていきます。動画を見たい人は動画サイトに、テキストをじっくり読みたい人は電子ブックに、そしてホームページでは欲しい情報にすぐたどり着けなさそうなときは、さっさと他所に行ってしまいます。そもそもネットはスマホ中心で見られているので、それに対応するためにデザインはワードプレスで便利に作るからなんとなくどれも似たようなものになります。でもその方が見る人は扱いやすくなっていたりするので、クリエーターの立ち位置は悩みだすと沼にハマります。
「ネットサーフィン」を楽しんだ時代は、今よりも情報流通量が少なく、ある意味おおらかな部分もありました。詐欺メールは今よりもなく、ひとり当たりの業務量も少なかったはずです。飲食店検索をするときはInstagramで探すという若い人は普通です。年配者には考えられない流れですね。SNS内を徘徊していると囲われている感覚に陥ります、溺れています。さよなら、ネットサーファー。
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